現実の可能性を広げる思考法

「もっと現実的に考えようよ」という人がいます。まず1つ言えるのは、現実的という「現実」は人それぞれ違います。なので、その人の現実と、伝えようとしている人の現実が違えば、「ん?」という会話になります。「あなたの言う現実的ってなんなの?」ということになりますし、仕事では、そんなツッコミも入れられず、「はい、はい」とうなずくのが当たり前の人もいるかもしれません。

ここでわかるのは、現実的というのは人それぞれ違うということです。これを全ての人がわかれば、より喧嘩や戦争、競争は減るでしょう。なぜなら、そうした「他」を存在させて「自」の方向性を通そうとすることは、「俺の現実的と思う意見を聞けや!」と言っているようなものだからです。

「自分と相手の現実的は100%違う」ことが分かっていれば、自分の意見を突き通して相手の意見を変えようとする暴力的な行動は起きないからです。過去のリーダーの行動はそうだったかもしれませんが、繁栄する組織を作っているリーダーをみれば、自分の意見を無理やり突き通すことはしません。

では、本当の現実的とはどういうことなのか?

本当の現実とは?

現実が分かれば、現実的という言葉が分かります。今その言葉を使っている人のイメージとしては、「今できる範囲で」とか「期間内にできることとしては」みたいな意味で、「ある範囲で考えたときに」といったイメージで使っていると思います。

では、現実の本当の形はどうなっているのでしょうか?東洋の思想では、この現実は1つから生まれているという演繹的思考方式で、西洋の科学では目の前に見えるものは何からできているのか?という帰納的思考方式を使います。なので、どちらからも見ると、本当の現実の姿が見えてくるでしょう。

まず、最先端の科学、素粒子物理学や量子力学では、M理論やひも理論といった最小単位まで到達しています。そこで言われていることは、この世界はバーチャル空間、仮想現実であるということです。映画マトリクスのように、目の前に見えている人や物などあらゆる存在は、バーチャルでできているということです。

そんな漫画みたいな話があるのか?と思いますが、実際に紐解いていくと、そこまでたどり着くようです。2重スリットの実験が有名ですが、観測者が波動を見ることで、波動が粒子となり、振る舞いが変わるというものです。つまり、見るまでは何もないのに、見た瞬間に現れるというものです。

つまり、目の前の人や物は、当たり前のように存在し、次の瞬間どんな変化、運動、移動するか分かりますが、本質的には確率的決定論であり、決まっているものは何もないということになります。(確率に支配されているから、確率は決まっているという人もいますが、そういうテーマではありません)

ここから考えた時に、現実的という言葉の見方が変わってきますし、可能性の幅を広げることができます。ある幅をイメージしながら、その範囲の「現実的」という言葉を使っているなら、それ以上の幅が見えず、可能性が見えなくなるからです。

東洋思想の範囲は2次元ですが、演繹的なので「すべてが1つから生まれる」という、西洋科学のゴールと近しいものがあり、科学が発展するほど東洋思想と共通するところが増えています。物質の最小単位はまく、ひもという最小単位、さらにそれらを生み出しているところまで紐解くと、1つの動き、サムシンググレートとも言われるものにたどり着くという人もいます。

そこから現実を見た時に、現実的という幅を決めることが、他の可能性が見えなくなることがわかります。全ては波動であり、それを私たちが認識することで存在させる。つまり、幅を決められるのも私たち次第ということです。これがわかった上で、あえて規定するのか、わからないまま規定するのかでは、「現実的」の意味が変わります。

これが分かれば「私なんか」とか「あの人がこうだから」といった、存在を無理やり固定して、つける意味価値の固定からも自由になります。今ここ無限の可能性しかないことがわかれば、存在を固定して意味価値づけをしたくなる「脳」の認識すらも俯瞰して観れる認識力を身につけることができるようになります。