いつまでも、
湧き上がる、
心の中の心から生まれる意志。
心の意志を観るのか。
心から生まれた想いを見るのか。
何かをやることで起こる価値の判断。
絶対的価値はそこにあるのか。
歴史が作ってきた壮大なゲームの中には、
5次元から見たら当たり前の相対性も、
4次元から見たら、絶対的ルールのようにも見える幻想がある。
何かをすることで価値がある。
この幻想が、ゲームの主人公がプレイヤーという真理を曇らせる。
無為自然。
やってもやってない。
しゃべってもしゃべってない。
朝目が覚めるたびに、
何かをする判断か、
何かができる歓喜か。
自分がしていることの価値は、
自分を超えた人にしか分からない。
ゲームの主人公の価値は、
ゲームのプレイヤーにしか分からないように。
私たちが、私たちの価値が分かるには、
「私」を超えないといけない。
「私」を超えていない人の評価は、
時間空間存在によって、
この世界の当然の理によって、
変わってしまうから。
私たちが持つ不変の価値は、
その名の通り「不変」で、
条件によって変わらない。
あなたが持つ不変の価値は、
あなたがそう思っている限り、
価値を持ち続ける。
決して、誰もあなたの価値を
上げることも、
下げることもできない。
誰に何を言われても、
あなたの解釈によって、
価値を変えることができる。
それ以上に、
あなたの目の前の現実は、
あなたの創造物にすぎない。
私たちを創造する
湧き上がる意志。
それは、私たちと分離することなく、
いつも一緒にある不変の価値。