日本人としての美しさ

日本人として、生を受けて、日本に生き、人とつながっていく。

その意味は、しっかりわかることなく、なあなあで生きてきた。

その中で、こうなりたいっていうモデルが見つかって、
そうなるために、頑張ってはみたものの、
結果は出たとしても、何か満たされない。

お金を稼いでも一時的。
人とつながってもちょっとしたことで関係が変わる。
なにより、何のために生きてるのか?その答えを教えてくれる人と出会うことがなかった。

そんな中で、日本の可能性を懇切に伝えてくれる人と出会い、
日本人の素晴らしさを教えて頂いた。

私たちの今の生き方は、先人から見て、どのように映るのか。
未来の子孫である私たちのために、戦争で犠牲になった人たちの想いが、形になった今といえる。

日本人が本来持つ、大和魂。和心。

自分を守るために、
「もっとこう言おう」
「これくらいはもらおう」
「こう言われたらこうしよう」

そんな恐れを中心としたコミュニケーションは、
侍の生き方の中心ではなかったようだ。

死ぬことと見つけたり。

スポーツでも武道でも、過去と未来からくる、
勝ち負けより、生死より、
「今ここ」に集中できる人ほど強いのは、今も同じだろう。

でも、それが仕事、人間関係、
健康、生き方全てに反映されてるだろうか。

そもそも、自己価値を高めて、
地位や名誉を得ても、根本的な問題解決になるのか。

過去の先人は、そういったものより、今の自分そのものに、
不動の自信があり、自分を守るためにあれこれするより、
周りを大切にできる無我、侘び寂び和心を持っていた。

痛みを避けて快楽を得る一般常識的な生き方のベースが、
己の深い精神性と繋がらず、何を得ても満足しない生き方は、
そもそもの出発が私たちに合わないのかもしれない。

人を大切にするレベルが、どこまで分離がない全てが1つから出発できるか。
満たされない気持ちを、外の世界で穴埋めを求めるのではなく、内側を統制するのか。

個を守る、部分的で盲目的な生き方から、
その国独自の俯瞰した精神性を生かす共通土台を持った世界の実現が、
世界中の人が切に望む希望になるのではないだろうか。