存在を上から観るか、下から見るか

あなたは、
何かを見て苦しくなったことはありますか?
何かを見て、幸せを感じたことはありますか?

そのどれもが、
存在ではないでしょうか?

5感でキャッチした存在に対して、
何らかの意味価値を与えて、
自分の気持ちに圧縮がかかる。

結果、苦しくなったり、
幸せになったり。

色んなセミナーや人から
話を聞いて、自分に取り入れる中で、

存在に対してアプローチするより、
存在をどこから観るかが重要
ということが分かりました。

存在に対して、
色んな角度からアプローチする
ことを伝える人はたくさんいます。

例えば、お金持ちになりたいなら
存在に対して「信頼関係」という
感覚を共通して感じるような交流を取るとか
存在に対して「期待」や「価値が高い」という
良い感覚を感じられるような交流をするとか。

例えば、親友が欲しいなら、
存在に対して「何でも言える」という
感覚を感じる相手を親友と認識するとか

自分が感じたいことは、
きっと何かを通して感じること
だと思います。

ですが、中には悟りを開き、
それを科学的に説明する人もいました。

そうした人は、存在に対して
あれこれアプローチするよりも、
「なぜ、存在をそう存在させるのか?」

という自分の認識に
アプローチされていました。

で、私も21歳の時からあれこれ
試してみたんです笑

もう説明がめんどいので全部は話しませんが、
古今東西あらゆるものをやってみました。

成功したい、幸せになりたいところから
出発したので、やはり存在をいかに
満たすか、そのために何をするかという
ところに行き着きました。

お金持ちや有名経営者を師にかかげ、
教わったことを試して、
高級な物を手にしたい欲求ばかりが
溢れ続け、それをモチベーションに
頑張るなどをしてきました。

ですが、そこには心の底から感じられる
至福感、自信感はありませんでした。

お金や人脈、実績や権威などを得ることで
得られる「ニセモノの自信感」しか
ありませんでした。

それは、面白いことに、
無くなるとともに自分の自信も
なくなっていくんですよね笑

本当に文字通りやん笑
って思いました。

お寺の修行で、
千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)
などされる方がいますが、
そこまで自分を高める、自分を超える
ことをされるのはすごいなと思います。

このように、人によっては
お金を得て会社を立てて経営者になって
地位や名誉を得たら幸せが得られる
という人もいれば、

山にこもって自分を超えて
幸せが得られるという人もいます。

こうしたたくさんの人から教わってきて、
たどり着いたことは、
「存在の原因から存在を観る」
ということです。

存在が存在しているのは理由があります。

ですが、その理由が分からず、
存在にアプローチしても、
そもそもが存在が、

・なぜ
・どのように
・どんな素材で

ここに有るように見えるのかが、
分からないと、質問が出来ないです。

質問ができないということは、
答えが出ないということです。

存在が存在している視点であれば、
いかに「感情の変化」を起こすか
それが幸せに繋がるという答えになるでしょう。

幸せな気持ちを感じるために、
こんなことをする
こんな環境を作る
などです。

ですが、私たちという体を生み出している
根本の意思から観たときに、
単に良い気持ちを感じて人生を生き、終えるのが
人生の本質なのか?に疑問が現れます。

存在を超えたところから、
論理とイメージで今ここを観たときに、
存在に対するイメージが変わります。

存在に対する気持ちを変えて幸せを感じるというのは、
存在ありきの発想になります。

ですが、最新の科学や哲学では存在は存在しないこと、
昔からあるキリストや仏陀、老師なども語っています。

存在がないところから存在を観たときに、
存在がある、見えることの神秘や感動を感じ、
存在させて感じられない至福感、安心感、自信感
などを感じることができると思います。

自信も、自信がないから自信をつけて感じるものではなく、
本来持っている不動の自信に気づくようなものです。

存在を上から観るか、下から見るかは、
存在を変えようとするより、
大切なことだと思います。