”とうめいな”真理の扉


出会えてることが奇跡なのに、

この出会いの奇跡が分からなくなって、
エゴにはまって天国が地獄と感じてしまう。

悲しい。

言葉にすると言葉になるけど、
相応するエネルギーはこれ豊かに、
全てを包み込むに相当する。

部分が部分を生み、
手段が目的と化す。
自分が目的と化す。

この世界を統制している
綺麗事は、全て錯覚。

ビジョン、目的、目標、優、夢、想像、バランス、TPO

全て錯覚。

その方向性が本質なのではなく、
その錯覚を奇跡と思えることが本質なのだ。

錯覚に意味価値をつけて思い込むことから、
本質と離れ、家に帰れなくなり、迷子になり、
痛みが生まれ始め、泣きながら求め続け、
気づいたら痛みがなくなり、
代わりに出口のない迷路に迷い込んでいることに、
気づかない。

体の痛みが取れる手段が見つかる代わりに、
心の喜び痛みが見えなくなる。

でも、いつもすぐ隣にあるのは、
目に見えない透明な本質の扉。

親は子とともにあり、
子は親とともにある。

親は、永遠に出会えないように見えても、
いつもあなたとぴったり同じく呼吸をし、
同じく歩み、同じく見つめている。

それは、親子じゃなく、自分。
全てが自分。

でも、

ちょっとは気づきたい。

自分が自分を分からなくなっているところから。

それがこの体を作った目的だから。

どれだけ落ち込んでいても
動き続けてくれる心臓のように、

自分が何者か知りたいエネルギーは、
0.1%でも、永遠とこちらに流れ込んでくるから。

たとえ、それに気づけなくても、
気づけないということも、
また1つの出会い。

気づけなくても、
いつも出会っているよ。

この相対の中で奇跡のエネルギーを。